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朝日新聞全国版の全面広告の料金は約3000万円。これを1年間毎日出稿すると109億5000万円。10年間では1095億円になる。そのときに、どういうメッセージを発するか、ということを考えてみるのは無駄ではない。あなたがどういう人間か、どれだけの情報とネットワークを持っているかが問われる。個人的なラブレターに使うのももちろん自由である。

~あの金で何が買えたか~





私が彼らに求めたのは、サッカーにおいて必要な、もっと直接的なコミュニケーションです。ピッチの上では、社会的な立場はすべて関係なくなるんです。だから「遠慮しないでほしい」 「相手が先輩であっても”さん”付けで呼ぶのはやめよう」と要求しました。
日本人は、仲間以外の人とのコミュニケーションが下手なのです。だから、本山が先輩や、アントラーズ以外の選手に対して「急げ」とか「ボールを出せ」とは言えないのです。しかし、それは表面的な言葉だけの問題にとどまらず、いい形の意思疎通が図れない原因にもなり大問題です。

~フィリップ・トルシエ~





「日本が恋しくはないか?」
「日本のことはもう忘れた」
「忘れた?どうして?」
「あの国には何もない、もはや死んだ国だ、日本のことを考えることはない」
「この土地には何があるんだ?」
「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある、われわれに敵はいるが、いじめるものやいじめられるものがいない」
もしいやでなければ最後に何か日本語を喋ってくれないか?と記者に頼まれて、少年は、ナマムギ・ナマゴメ・ナマタマゴ、と少し笑みを浮かべながら、言った。

~希望の国のエクソダス~





この国の「システム」は個人のプライドを支える力をとっくの昔に失っています。
「仲間」を求めて群れを目指す生き方は、自分の手に余るシリアスなトラウマを抱え「緊急の救助」が必要な場合を除いて、もはやいかなる意味でも有効ではありません。
「友人」というのは、「仲間」とは違って、群れるわけではなく、いつもいつも一緒にいる必要もなく、お互いの仕事を暖かく見守りながら、「元気だった?」と再会を喜び、語り合う、そういうものです。

~「仲間」ではなく友人として~




貧乏な男が、運をお授け下さいと観音様に祈る。毎日、朝から晩まで祈る。観音様が夢に現れ、お寺から出たら、まず最初に触れたものをわたしからの授かりものだと思って大事にしなさい、という。寺の門を出たところで、男は転び、一本のわらしべを掴んでしまう。まずアブをわらしべに結びつける。男の子に、アブを結んだわらしべをプレゼントし、そのお礼にと母親からみかんを三つもらう。次にお姫様にみかんをプレゼントし、布を三反もらう。倒れた馬と布を交換する。引越しをしている家で、馬と田畑・家を交換する。その後、大金持ちになる。

~わらしべ長者~





男が描いていたのは「残像」だった。正確に言えば、「目を閉じた時に見えるもの」だ。最初、画面にはほんの僅かな間だけテーブルの隅に置かれた灰皿とその中で燃える煙草と女の細い指が見える。目を閉じた時と同じように、その映像は消えて、ネガのような残像がふっと現れ、それも一瞬のうちに無くなる。あとは目の裏側の画が現れてくる。目を閉じて指で強く眼球を押すと見えるあの画だ。それは皆既食の太陽のような輪郭だけのぼんやりとした光に始まる。やがて、その弱々しい光は取り出したばかりの心臓のようにヒクヒク動きながら膨張し画面の四隅に定着して点滅を繰り返す。同時に皆既食の暗部に暗い光を発する極めて小さな点が現れる。原生動物の増殖に似た動きで発光する点は増え始める。恐ろしい速さで飛び跳ねながら増え続ける。

~愛と幻想のファシズム~






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